2011年12月2日金曜日



皆さん。コモドドラゴンを知っていますか。。それは珍しくて、ディノサウルスの子孫だそうです。。
それは私のところにいます。たくさんの外国人がそこによく行きます。皆さんも行って見てください。。
インドネシアのコモド島にいます。。。。

2011年12月1日木曜日

ACジャパン 思いやりは誰にでも見える (60秒) 2011


これは私の好きなCMです。。。 
心と思いの中にあるいいことを表す必要がある。。

2011年11月30日水曜日

言葉より。。。

みなさん。。これは私の先週の書いたものです。。良かったら、読んでください。。


言葉を勉強するのは面白いが、大変でなかなか出来ないこともある。そこで、日本語を勉強する時、私はよく聖書のバベルの塔の話を思い出す。もし、この世界で、一つの言葉しかなければ、便利なのではないだろうか。言葉は人間の生活にとって、不可欠であり、しかも一つの言葉だけであればとても便利だ。どこに言っても言葉が分かっているので、新しい言葉を勉強しないですむ。聖書の中で昔の人々のせいで、神様によって、たくさんの言葉が出来てしまった。その時から、人間がお互いに理解出来なくなり、様々な悪事も起こるようになったようだ。
 しかし、お互いに理解出来なくて、悪事が起こるのは言葉が違うからなのだろうか。現在の世界は同じ言葉で使う人でも、お互いに理解出来ないことがある。しかも、同じ言葉を使っているのに、戦争をしようとする国もある。そこで、私はその話の他の意味を考えみたいと思う。多分、お互いに理解するためには、言葉より、もっと大切なことがあるのではないだろうか。そして、その話から、今の日本語の勉強に関連があるかどうかを考えみたいと思う。
  皆さんはバベルの塔の話が分からないかもしれないので、次にあらすじが書いてあります。。
  昔々、神様がアダムとエバーという最初の人間を創造した。この二人から、今の地球に存在する人が出来たようだ。人間の歴史の最初のころ、人間の数が多くなってきた時に、人間はよく神様に逆らったものだ。しかも、大きな力を持って、どんなことでも出来るようになりたい、という神様のような全能力を持ちたがることもあった。その結果、最初の人間はよく神様に罰せられた。
 ある時、人間は大きな街を作り、そしてその街の真ん中に天まで届く高い建物を建てようとした。神様はそれを見ると、怒ってしまった。そして、その人間の計画を阻止するつもりだった。どうやって、阻止するかを神様は考えていた。
 その時、人間の言葉は一つしかなかったようだ。だから、神様は人間がその大きな街を作ること、また空まで届くような高い建物を建てることが出来ないように、人間の言葉を混乱させた。すると、人間はお互いに話していることが理解出来なくなり、また、その街と建物を作ることも出来なくなった。その時から、たくさんの言葉が出来てしまった。その上、その時から他の人の言うことを理解するためには、その人の言葉を学ぶ必要があるようになった。

考察
 基本的に聖書には「神様と人間の間の関係」に関して書いてある。どういう関係かいうと、まず人間に対する神様の愛、また、その愛に対する人間の答えだという関係だ。神様の愛に対する人間の答えは信仰と言う。バベルの塔の話は神様と人間の関係も現れている。
 この話の中で、一般的に二つ大切な部分がある。一つは人間と神様の関係が壊れたということで、もう一つは人間と人間の関係が壊れたということだ。
 まず、神様との関係が壊れたことだ。その理由として、人間は街を作り、その街の真ん中に天まで届く高い塔を建てようとしたことを挙げた。人間は「天まで届く塔のある街を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と話し合い(5節)、街と塔を作り始めた。人間は有名になるようにその塔のある街を作った。それは象徴的に人間のプライドを表すということだ。だから、神様はそれを見ると、怒り、人間の言葉を混乱させるという風にその人間の計画を阻止した。神様は「我々は降って行って、(ただ)ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)と言った。神様はそうした。
 
次に、人間関係が壊れたこと。人間の言葉が神様に混乱させられたことによって、人間の関係も悪化してしまった。人間はお互いに話していることが理解出来なくなり、またその街と建物を作ることが出来なくなった。「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの街の建設をやめた」(8節)とはっきり神様の意志が計画をした通り出来たということを示している。
 この話から、主張としては「どうやって人間がお互いに理解出来るようにするか」ということが分かった。確かに、人間がお互いに理解出来るようにするのは様々な方法あるが、この話の中で言葉が一番大切なのがすぐに分かった。神様に言葉を混乱させられてから、人間はお互いに理解出来なくなったからである。つまり、言葉がなければ、理解出来ないわけである。言葉が違えば、理解できないわけだ。
しかし、人間がお互いに理解出来ないのは言葉が違うからなのだろうか。実感することを通して、違う言葉の人達は理解出来る、また、同じ言葉でも理解出来ないということを誰でも知っているはずだ。だから、お互いに理解するためには、言葉はもちろんだが、言葉より、もっと大切なことがある。それは著者が一番言いたいことだと思う。
 既に述べたように、人間のプライドが高いということによって、人間の言葉を神様に混乱させられて、その結果、人間はお互いに理解できなくなった。これを考えると、私にとって、その人間がお互いに理解できないのは言葉が神様に混乱させれたからではなく、人間のプライドが高いからである。だから、筆者の主張は「プライドがなければ、人間はお互いに理解出来る」ということだ。つまり、理解出来るように謙遜する必要があるということだ。


2011年11月27日日曜日

先週末。。

先週末、私は寮の友達と一緒に明治村に行きました。

それは日本の伝統的な村の一つです。

車で行くと、一時間ぐらいかかります。

そこには様々な歴史的なものがあります。

もし、興味があれば、ぜひ行ってみてください。。。

時間がなかったら、私に聞いてもいいです。。。

2011年11月25日金曜日

読んで!

私は書くのが大好きです。。これは私の書いたものの一つです。日本に来てから、気がついたことの一つに関して書いてあります。。興味があったら、読んでください!! ちょっと長いけど。。。



誰の歴史ですか?
 
 歴史から勉強する必要があるとよく言われる。歴史を学ぶ目的は様々あるが、その一つはもっと良い将来を作ることが出来るようにするということだ。歴史から勉強することを通して、前より、もっと良いことをすることが出来るだろう。その為に、客観的に歴史を書く必要があると思う。しかし、歴史を書く時、どうしても主観が入ってしまうと思うが、どうすれば客観的に書けるのかを考えてみたいと思う。
 私が日本に来てから、気がついたことは様々あるが、そのうちの一つが「日本がインドネシアを支配したこと」に関する歴史の書き方である。インドネシアにも日本にもそれぞれの書き方がある。インドネシアの独立歴史の中で、日本は三年間ぐらい(1942-1945)インドネシアを支配したことがある。日本人は「日本はアジアの光であり、指導者であり、保護者である」というモットーで、すべてのアジアを支配したがっていて、インドネシアにも行った。そのモットーを見ると、日本人がインドネシアに行ったのはとても良い目的なのではないだろうか。
 日本人がインドネシアに着く前に、インドネシアはオランダに支配されていた。それは三百五十年間ぐらいだった。だから、日本人がインドネシアに着いたばかりの頃、インドネシア人は喜んで日本人を受けて入れてあげた。なぜなら、日本は同じアジアで、しかも、日本がアジアの光、指導者、保護者、というモットーがあるので、インドネシア人は日本人が来たのはインドネシア人と一緒にオランダ人を追い出すためだと考えたからである。
 しかし、実際に酷いことばかりがあったようだ。「労務者」と言い、それは日本人に空港や軍事防衛(ぐんじぼうえい)道路(どうろく)建設(けんせつ)したり、働いたりするように強制された人達のことである。日本人がインドネシアにいた時に、「労務者」になった人は非常に多かったようだ。その時、インドネシア人は苦し、日常生活が出来ないくらいだった。そして、インドネシア人はオランダ人に支配された三百五十年より、日本人に支配された三年の方が苦しんだとインドネシアの歴史の中に書いてある。
 日本の歴史の中で、どのような書き方があるだろうか。私が聞いたのは日本人がインドネシアに行ったのは「支配」する為ではなく、インドネシア人を「教育」する為に行ったようだ。それは本当かどうかまだ分からなく、そして、どちらが正しいか、私にも分からない。既に述べた通り、日本人のモットーを見ると、教育的な面が入っているが、それは事実とは矛盾なのではないだろうか。
 その書き方の違いに関して考えてみると、やはり歴史というのは主観的になりがちだ。歴史の書き方は国によって違う。日本には日本なりの書き方があり、インドネシアにはインドネシアなりの書き方がある。何故、主観的にしか書けないかというと、下記の二つの理由があると思う。一つは歴史的事実を見付けにくいからだ。歴史を書く時、歴史の証人がいないと、事実を見付けることは難しくなるだろう。その時、歴史を書く人は分かっている事実だけではなく、歴史を書き、自分の意見や解釈(かいしゃく)を書いてしまうかもしれない。そこで、歴史は主観的になる可能性がある。もう一つは昔の悪事(あくじ)を忘れたり隠したりしたいからだ。つまり、善行(ぜんこう)だけを認め、書くという事だ。この理由についてもっと説明したいと思う。
 確かに、昔の悪事を忘れたり隠したりするのは人間にありがちなことだ。人間は誰でも、自分の悪事を忘れ、自分の善行だけを認めがちだ。しかし、歴史の場合にはそれはしてはいけないことだ。何故なら、歴史というのは昔の事実だからだ。その歴史を書く人の意見や解釈や願望ではない。歴史を書くのは「誰がその歴史を書くか」という問題ではなく、「何が起こったか」という問題だ。歴史は誰にも(ぞく)していない。誰がその歴史を書くかという風に考えると、主観的になってしまうのは否定できないことだ。つまり、歴史を書く時に、何かが起こった通り、書くべきだというわけだ。
 インドネシアと日本の歴史の場合はどうしてそのような書き方があるのか、次の二つの仮定だけを提起する事が出来ると思う。一つはもし、「日本が本当にインドネシアを支配した」という視点の方が正しかったら、多分、日本は酷いことを忘れたいという理由で、そのように書くことになった。他の言葉で言えば、日本は戦争後の時代にその酷いことを知られないように、本当じゃないことを書いた。
もう一つはもし、「日本がインドネシアを教育する為に行った」という始点の方が正しかったら、多分、問題なのは「教育する」に関する理解という問題かもしれない。それはどんな立場から見るかによって変わると思う。例えば、昔は暴力を使って教育するのは普通だった。この視点から見ると、どんな大きな悪事でも、インドネシアを進歩する限り、「教育」と言える。一方で、現在の視点から見ると、たとえどんな場合でも、教育する時、暴力を使ってはいけないということだ。けれど、この視点から見ると、歴史の事実を判断したり、評価したりしてしまうので、使ってはいけない。なぜなら、歴史を書く時、判断したり、評価したりしず、起こった通り書くことからた。
以上の二つの仮定から、一番目の仮定が正しかったら、インドネシアの書き方は正しいが、二番目の仮定が正しかったら、日本の書き方の方が正しく、客観的かもしれない。
 この問題を解決する為に、同じ理解や書き方を得られるように、共同でその歴史を書くべきだ。そうすると、客観的に書くことが出来ると思う。そして、本当の歴史から学ぶことができるようになるだろう。

はじめに

皆さん。。。
ファーノ ジャマンと申します。。
私はブログにあまり興味がありませんので、あまり書きません。
これが初めての私の書くものです。。それは成績をもらえるために、書き始めました。
ちょっと遅かったけど。。。。