2011年11月30日水曜日

言葉より。。。

みなさん。。これは私の先週の書いたものです。。良かったら、読んでください。。


言葉を勉強するのは面白いが、大変でなかなか出来ないこともある。そこで、日本語を勉強する時、私はよく聖書のバベルの塔の話を思い出す。もし、この世界で、一つの言葉しかなければ、便利なのではないだろうか。言葉は人間の生活にとって、不可欠であり、しかも一つの言葉だけであればとても便利だ。どこに言っても言葉が分かっているので、新しい言葉を勉強しないですむ。聖書の中で昔の人々のせいで、神様によって、たくさんの言葉が出来てしまった。その時から、人間がお互いに理解出来なくなり、様々な悪事も起こるようになったようだ。
 しかし、お互いに理解出来なくて、悪事が起こるのは言葉が違うからなのだろうか。現在の世界は同じ言葉で使う人でも、お互いに理解出来ないことがある。しかも、同じ言葉を使っているのに、戦争をしようとする国もある。そこで、私はその話の他の意味を考えみたいと思う。多分、お互いに理解するためには、言葉より、もっと大切なことがあるのではないだろうか。そして、その話から、今の日本語の勉強に関連があるかどうかを考えみたいと思う。
  皆さんはバベルの塔の話が分からないかもしれないので、次にあらすじが書いてあります。。
  昔々、神様がアダムとエバーという最初の人間を創造した。この二人から、今の地球に存在する人が出来たようだ。人間の歴史の最初のころ、人間の数が多くなってきた時に、人間はよく神様に逆らったものだ。しかも、大きな力を持って、どんなことでも出来るようになりたい、という神様のような全能力を持ちたがることもあった。その結果、最初の人間はよく神様に罰せられた。
 ある時、人間は大きな街を作り、そしてその街の真ん中に天まで届く高い建物を建てようとした。神様はそれを見ると、怒ってしまった。そして、その人間の計画を阻止するつもりだった。どうやって、阻止するかを神様は考えていた。
 その時、人間の言葉は一つしかなかったようだ。だから、神様は人間がその大きな街を作ること、また空まで届くような高い建物を建てることが出来ないように、人間の言葉を混乱させた。すると、人間はお互いに話していることが理解出来なくなり、また、その街と建物を作ることも出来なくなった。その時から、たくさんの言葉が出来てしまった。その上、その時から他の人の言うことを理解するためには、その人の言葉を学ぶ必要があるようになった。

考察
 基本的に聖書には「神様と人間の間の関係」に関して書いてある。どういう関係かいうと、まず人間に対する神様の愛、また、その愛に対する人間の答えだという関係だ。神様の愛に対する人間の答えは信仰と言う。バベルの塔の話は神様と人間の関係も現れている。
 この話の中で、一般的に二つ大切な部分がある。一つは人間と神様の関係が壊れたということで、もう一つは人間と人間の関係が壊れたということだ。
 まず、神様との関係が壊れたことだ。その理由として、人間は街を作り、その街の真ん中に天まで届く高い塔を建てようとしたことを挙げた。人間は「天まで届く塔のある街を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と話し合い(5節)、街と塔を作り始めた。人間は有名になるようにその塔のある街を作った。それは象徴的に人間のプライドを表すということだ。だから、神様はそれを見ると、怒り、人間の言葉を混乱させるという風にその人間の計画を阻止した。神様は「我々は降って行って、(ただ)ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)と言った。神様はそうした。
 
次に、人間関係が壊れたこと。人間の言葉が神様に混乱させられたことによって、人間の関係も悪化してしまった。人間はお互いに話していることが理解出来なくなり、またその街と建物を作ることが出来なくなった。「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの街の建設をやめた」(8節)とはっきり神様の意志が計画をした通り出来たということを示している。
 この話から、主張としては「どうやって人間がお互いに理解出来るようにするか」ということが分かった。確かに、人間がお互いに理解出来るようにするのは様々な方法あるが、この話の中で言葉が一番大切なのがすぐに分かった。神様に言葉を混乱させられてから、人間はお互いに理解出来なくなったからである。つまり、言葉がなければ、理解出来ないわけである。言葉が違えば、理解できないわけだ。
しかし、人間がお互いに理解出来ないのは言葉が違うからなのだろうか。実感することを通して、違う言葉の人達は理解出来る、また、同じ言葉でも理解出来ないということを誰でも知っているはずだ。だから、お互いに理解するためには、言葉はもちろんだが、言葉より、もっと大切なことがある。それは著者が一番言いたいことだと思う。
 既に述べたように、人間のプライドが高いということによって、人間の言葉を神様に混乱させられて、その結果、人間はお互いに理解できなくなった。これを考えると、私にとって、その人間がお互いに理解できないのは言葉が神様に混乱させれたからではなく、人間のプライドが高いからである。だから、筆者の主張は「プライドがなければ、人間はお互いに理解出来る」ということだ。つまり、理解出来るように謙遜する必要があるということだ。


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